聖書の中の「らい」の言葉の改訂ホームぺージ

聖書の「らい」の改訂を求めるHPのミラーサイト

私たちがなぜ「重い皮膚病」の訂正・再改訂を求めるのか

聖書の中の「らい」の言葉の改訂ホームぺージ(聖書の「らい」を誤訳改訂した日本聖書協会発行・販売の新共同訳聖書、 口語訳聖書の「重い皮膚病」の訂正・再改訂を主に求めるホームページ) 更新日:2011年(平成23年)11月3日(木) どうか、皆様、NEW の記事をお読み下さいませんでしょうか。

NEW

「仮称・標準訳聖書」に対して、 聖書の「らい」の言葉の正しい改訂を要望する

キリスト新聞:2010年3月13 日土曜日発行。第3132号通刊の一面に、見出しとして、 日本聖書協会、全18教 派・団体が参加、6月から翻訳開始、2016年の新たな聖書刊行とあり、私(大嶋 得雄:国立ハンセン病療養所内長島曙教会牧師))としては、驚いた。 2005年から2007年 に私は、共同訳聖書委員会委員長の木田献一先生(プロテス トタント牧師)和田幹男先生(カトリック司祭)に、新共同訳聖書の中の「重い皮膚病」 と「かび」訳(従来の「らい」を置き換えた訳)を適訳にするよう求め、訳が見つからない ので、第3版新改訳聖書と同じように,「重い皮膚病」、「かび」もヘブル語原語の 「ツァラアト」にすべきと求め、度々、協議した。お二人は長島曙教会まで訪問して、私と 長老会の兄姉と懇談(協議)までもしてくださった。 木田献一先生も「ツァラアト」の原語の意味を調べられて、「ツァラアト」は意味不明の 言葉だと認識されるようになられた。ところが、2008年一月中旬に「重い皮膚病」と「 かび」が適当だ、適訳が見つかるまで、継続して「重い皮膚病」と「かび」にさせていただく と言ってこられた。 たとい、意訳にするにしても、間違った訳のままで、継続発行は出来ないはずだ。 「重い皮膚病」は「ツァラアト」だけでなく、色々な皮膚病を総称していることになる。 木田献一先生に抗議すると、適訳が見つかるまで暫定ですと答えられた。これは発行元の日本聖 書協会の強い要望があったとしか考えられない。非常に、腹立たしい、残念な思いでいます。

「重い皮膚病」と「かび」は改訂しないで新共同訳聖書を継続すると公告

2008年1 月27日に「重い皮膚病」と「かび」は改訂しないで新共同訳聖書を継続することを キリスト新聞、カトリック新聞に大きく公告した。 新共同訳聖書のレビ 13:45-46は次のようになった。「13:45 重い皮膚病にかかっている患者は、 衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねば ならない。13:46 この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まね ばならない」になる。以前の「らい」の訳が「重い皮膚病」とまた誤訳されていた。この「重い皮膚病」 と誤訳されたのでは、「重い皮膚病」はやはり「らい」を連想してしまう。また「重い皮膚病」と訳すと、 「ツァラアト」以外の多くの重い皮膚病の人も、「ツァラアト」に含まれてしまい、聖書の言葉により、 汚れた者ですと叫び、宿営の外、つまり、隔離されなければならなくなります。こんなひどい訳、 誤った訳になるものを神の言葉として通らせてはいけないと思っている。

人気がなかった新共同訳

仮称・標準訳聖書出版計画に関してキリスト新聞社が18人の学者、牧師、有識者らに 意見を聞いている。新共同訳聖書は、アンケートに答えられた色々な声からすると、 新共同訳は人気がなかったようだ。なるほどとは思われる意見を出されているが、どうし ても改訂しなければならないという強い要請ではない。敬称、接頭語、語尾、形容詞、 感動的な言葉、文学性、洗練された文章、時代に合う文章にすべきというものであって 、何が何でも改訂しなければ誤りだという意見ではない。 18人の中、数名は割合 にはっきりと発行する必要はないと言われている。私は、何が何 でも、新共同訳を見直せと言う要請はないと思う。

ある牧師さんは”儲けや”と答えられた

過去,明治元訳(1987年発行) から30年ごとに発行しているから、2016年はその年の区切りに当たるからどうしても 発行しなければならないものではない。私はある電気メーカの営業マンから献身(転職) した牧師であるので、日本聖書協会のやり方、特に仮称・標準訳聖書への発行計画は市場 シエアアップ、独占さえ狙う企業戦略のようにさえ感じる。日本聖書協会が過去30年ご とに新しい聖書を発行していたことを名目にして企画したものだと考える。そのため、 新共同訳を使っていない教団にさえ検討委員の派遣を要請して、そのうちいくつかの 教団から委員が送られている。これは、企業で言う販路開拓、切り込み、販売戦略であ る。検討委員にはキリスト教の大学、高校やその連盟の代表から選ばれている。大学、 高校は聖書科、聖書知識)が一つの単位科目となるので、学生に聖書を買うことを勧め る。だから、キリスト教の大学、高校を大切にする。ある牧師さんに日本聖書協会が 2016年に仮称・標準訳聖書を刊行する、発売すると言っていますが、どう思われますかと質問 すると、あっさりと”儲けや”と答えられた。本当にそう思いますかと聞くと、”儲け”と思いますと 言われた。私が思うように感じられる牧師さんがいるのである。きっとそのように思われてい る牧師さん、祭司さん、大学、高校の神学、聖書担当の先生が多くいられると思います。

恐ろしい罪を犯し続けている日本聖書協会

しかし、「重い皮膚病」と「かび」訳は誤訳であり、正しい訳語に変えなければならない 言葉である。敬称、接頭語、語尾、形容詞、感動的な言葉、文学性、、洗練された文章、 時代に合う文章にすることを検討すれば良い。神の言葉をあまり文学的に表現すべきでない と思う。文学者や小説家が聖書の真理を用いて文学に現わしたら良いと思う。神の言葉は 神の言葉として愛においても、力においても、どっしりとしたもので良いと思う。 絶対に改訂しなければならない「重い皮膚病」と「かび」をそのままにして、要請のない ものに取組むのはいけないと思う。誰がどういう理由で要請しているのか発表してほしい。 日本聖書協会が発行したいために、自作自演をしているのではないか。 検討委員に選ばれた方にどうか「重い皮膚病」と「かび」を真剣に検討していただ きたい。 日本聖書協会の今までの「らい」の改訂に取組む姿勢は誤りである。罪を罪とも思わ ない姿勢である。神の言葉を正しく訳して、弱者を窮地に陥れないようにしてほしい。 本当に 日本聖書協会は恐ろしい罪を犯し続けている。検討委員の先生方も、ご自分の 意見を神の前に堂々と主張していただきたい。 日本聖書協会の片棒を担がないで下さい。

追いはぎ(新共同訳)に会い、今にも死にそうな旅人を助けず、見ないで、向こう 側を通って行く人を非難された主イエス様のお話(ルカ10章)に当たることを平気で 日本聖書協会はしている。

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last updated 23 Nov.2011 開設日:2003年11月1日

JBSの新たな日本語訳聖書出版計画に対する意見

キリスト新聞社では、日本聖書協会が手がける「標準訳」(仮称)聖書についての アンケートを2010年4月から実施された。その内、解答を送られた学者、牧師、 有識者ら18人の声を原文のままで50音順に、2010年9月11日、9月18日、9月25日、 10月2日、10月9日、10月16日、10月23日、11月6日のキリスト新聞に掲載された。大嶋の 理解でその主な点を順番に記すが、その前に9月11日と9月18日発行のキリスト 新聞に掲載されたアンケートの内容と趣旨を記します。キリスト新聞社アーカイブ 「標準訳」への期待アンケート回答

【9月11日のキリスト新聞に掲載されたアンケートの内容と趣旨】

6年後の2016年 に向け、新たな聖書翻訳をめぐる動きが活発化している。「新共同訳」に次ぐ翻訳「標 準訳」(仮称)を刊行する予定する予定の日本聖書協会をはじめ「新改訳聖書」でも、 新しい翻訳聖書の刊行に着手した。さらに、日本聖書出版会(奥山実会長)発行の「現 改訳」も、マルコーシュ・パブリケーションから近々発売される予定だ。本紙では今年 4月から、日本聖書協会が手がける「標準訳」(仮称)聖書についてのアンケートを実施 してきた。

質問項目は、①新たな翻訳に期待すること、②具体的な注文、③「新共同 訳」の評価点と欠点の三つ。

同協会の「新翻訳にむけての諮問会議」に各教派・団体 から派遣された議員、聖書翻訳に携わる研究者、本紙執筆者および雑誌「ミニストリー」 に』登場した説教者など62人を対象に実施し、うち18人から回答を得た。寄せられた回答 を今月号から順次紹介していく。

新しい聖書翻訳の方針は次のとおり。①共同訳事業の延長とし、日本の教会の標 準訳聖書となること、全教会での使用を目指す。②礼拝で用いることを主な目的と する。礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語を目指す。③義務教育を終 了した日本語能力を持つ人を対象とする。④言語と文化の変化に対応し、将来にわたっ て日本語、日本の文化の形成に貢献できることを目指す。⑤この数十年における聖書 学、翻訳学などの成果に基づき、原典に忠実な翻訳を目指す。⑥聖書が神の言葉であ ることをわきまえ、統一性を保つ視点を失わないこととする。⑦本文以外の部分は、 できる限りさまざまな組み合わせを考え、読者のニーズに応える努力をする。

以下、18名の方のアンケートの答えを原文で掲載されたキリスト新聞のままにこ こに掲載すべきであるが、紙面に限りあるので、大嶋の理解で掲載順(50音順)に しるさせていただきます。敬称を略させていただきます。

  • 岩島忠彦(上智大学・カトリック司祭)「新共同訳」には意訳が目立ち、ギリシャ語原文の言葉に反映されて いないと思われる more
  • 大塚野百合(恵泉女学園大学名誉教授)口語訳の聖書を手にして、 絶望とも言うべき落胆をしました。 more
  • 小河陽(関東学院経済学部教授)今回の新しい企画を生み出す機運に結実していったのか、そのこと自体 を私は疑問に感じます more
  • 尾山令仁(聖書キリスト教会会長牧師、東京神学校校長) 『標準訳』を翻訳するに当たって、逐語訳、意訳でなく、 スコポス(機能主義的翻訳=本紙注)理論を採用することは画期的なことだと more
  • 勝村弘也(神戸松蔭女子学院大学教授)新共同訳は学生に買わせておきながら、訳文は推薦で きないという矛盾を抱えています more
  • 榊原康夫(日本キリスト改革派東京恩寵教会名誉牧師) 貴紙掲載の「新しい聖書翻訳方針(抜粋)」7項全てに賛成。 more
  • 柴田千頭男(ルーテル学院大学名誉教授、日本ルーテル教団引退牧師)文語体聖書、口語体聖書、新共同訳聖書という歴史の節目での、これまで の訳業の成果の総合としての標準訳を期待したい。 more
  • 柴崎聡(青山学院大学、恵泉女学園大学非常勤講師、日本聖書神学校講師) 読む者の生き方を揺さぶる翻訳にしてほしいの です。・・・・。more
  • 寺園喜基(西南学院理事長・院長)動的等価理論と逐訳との方法論的不統一は問題点。 more
  • 徳善義和(ルーテル学院大学・神学校名誉教授)①聖 書翻訳は25年に1度を目安に行われるべき(大嶋:このような考えがあること事体が 誤りであると思う。) more
  • 仲田達男(聖書研究会ミルトス会主宰)新しい翻訳事業を 始める動機が“見直し要請があったから”のようだが、それは具体的にどのような 要請があったのか。聖職者・学者・一般信徒からなのか、その内容はなど。翻訳方針 それらの要請に応えているものなのか。 more
  • 並木浩一(国際基督教大学名誉教授)聖書の原文は一つ ではありません。ことに旧約聖書本文は子音字本文と読みとの二重構造をしばしば示し、 どちらを採用するかが問われます。 more
  • 濱野道雄(日本バプテスト連盟宣教研究所所長、共同訳事業推進計画諮問会会議議員) 「礼拝 式にあった格調高い日本語を求められる」と言われるが、神のことばが礼拝と教会を形 成し問うのであって、逆ではないので、既存の礼拝方式や教会のあり方を前提に発想す るのは望ましくない。 more
  • 福井達雨(止揚学園職員)私は知能に重い障害を持った仲間 たちと58年間を共に歩み、聖書を新しくなる度に心を痛めてきました。この 仲間たちは変化の早い合理社会への対応がしにくい人たちです。 more
  • 本田哲郎(フランシスコ会カトリック司祭)翻訳事業の実情を押し測れば、何も期待できない。 キリスト論、教会論をはじめ、神学傾向のちがう翻訳者一人ひとり の訳文を寄せ集め、表記形体だけを統一編集するので、矛盾を再生産することになりそう。 more
  • 三好明(日本キリスト教会志木北伝道所牧師)このような途中変更のため、『聖書新 共同訳』は、分りやすい翻訳であっても、礼拝に使用するという性格が十分に徹底 されていない翻訳となっているのではないでしょうか。 more
  • 八木谷涼子(フリーライター)今度の翻訳は「全教会での 使用を目指す」と聞き、これは壮大な計画だと感じました。 more
  • 山本富二(日本バプテスト同盟磯子の丘教会牧師)30年 毎の新しい訳が必要との要請に従い、新しい訳がなされることは感謝です。 more

»»岩島忠彦(上智大学・カトリック司祭)①②教理学を教えており、聖書学は「趣味」といつ も言っています。とはいえ、講義のおいても、宣教ににおいても。ミサや礼拝においても、聖 書は私にとって最も重要なものです。旧約について云々する資格はありませんが、福音書 の訳に関して「新共同訳」には意訳が目立ち、ギリシャ語原文の言葉に反映されて いないと思われることが多々あります。・・・以上のことから標準訳に期待 することは次の2点です。第1に、原文の一語一語に忠実に反映した正確な訳を期 待します。このことは、講義にも、説教や宣教においても、「みことば」として の意味を伝えるために非常に大切です。意訳は一見分かりやすいようですが、 間違った印象やイメージを与える可能性が大です。第2に期待するのは、清楚 で格調の高い日本語です。日本語としてまず正確で不自然でないことが大切です。 しばしば出てくる「新共同訳」の「はっきり言っておく(が)」は、日本語とし て美しくないばかりか、原文と異なる印象を与えます。
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»»大塚野百合(恵泉女学園大学名誉教授)9月11日発行に掲載・・・文語文の 力強い文体で聖書を読んでいた私は、31歳のとき、口語訳の聖書を手にして、 絶望とも言うべき落胆をしました。聖書が神の言葉として魂に響かないのです。 ・・・ところで「新共同訳」が出たとき、詩篇23篇を読んでまた深い悲しみ を覚えました。文語訳の詩篇にあった心に染みる調べがまたもや消えていたから です。・・・私達の魂をつき動かす力強いリズムを持つ口語体が生まれて欲しい のです。
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»»小河陽(関東学院経済学部教授)9月11日発行に掲載・・・「礼拝で用いられ ることを主な目的とする」『標準訳』が『新共同訳』見直しへの要請に応える形で、 2016年の刊行をめどに翻訳作業を開始されるということですが、実際に『 キリスト新聞』に報道されるような見直しの要望が日本全国の教会から寄せら れて今回の新しい企画を生み出す機運に結実していったのか、そのこと自体 を私は疑問に感じます。礼拝で用いられる聖書本文はおそらく幾世代にもわたって 受け継がれ共有財産となることで文化の一端を担う役割を果たすことができると 思うのですが、発行当初からさまざまな方面から批判を受け欠点を指摘されながら も、やっと、そしてせっかく諸教会で礼拝において朗読され、式文として宗教儀式 にもなじみ始めた頃に、またもや全く新しい翻訳を「礼拝用の標準訳」として 企画するという考え方自体が理解に苦しむのです。・・・教会では同世代 の仲間がそのままに老齢化していくという現実です。日本の教会が立つこのような 現実の中で、これまでの礼拝のあり方を変えてしまうような〈礼拝用の聖書〉の出現 が教会を活気づけるのでしょうか。私はむしろ、慣れ親しみ体に染みこんだ従来の教 会生活から違和感を起こさせてしまうような、混乱を呼び起こす結果になるのでは ないか、と恐れます。
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»» 尾山令仁(聖書キリスト教会会長牧師、東京神学校校長)9月11日発行に掲載・・ ・この度出される日本聖書協会『標準訳』を翻訳するに当たって、逐語訳、意訳でなく、 スコポス(機能主義的翻訳=本紙注)理論を採用することは画期的なことだと思います。 しかし、これが翻訳において具体的にどのように表現されるのかが期待されるところ です。新共同訳は、全体として良い訳だと思います。共同訳のおかしなところを、 新共同訳では直してあります(マタイ26・25)。
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»»勝村弘也(神戸松蔭女子学院大学教授)9月18日発行に掲載・・・新共同訳は解釈のた めの基礎文献としては使いにくい。・・・学生に買わせておきながら、訳文は推薦で きないという矛盾を抱えています。・・「原典よりも美しく立派で意味の明瞭な翻訳」 を作ろうとしてはならない。・・・。
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»»榊原康夫(日本キリスト改革派東京恩寵教会名誉牧師)9月18日発行に掲載・・・1、 貴紙掲載の「新しい聖書翻訳方針(抜粋)」7項全てに賛成。特に①②③⑥に。2、 礼拝での朗読にふさわしいためには、朗読を聞くより他に聖書を読めない目の不自由 な高齢者、病人、視覚障がい者のため、“霊”ではなく「(聖)霊」に、寸法と重さの度 量衡は現代日本のメートル、グラムに換算した概数を()内で追記すること。
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»»柴田千頭男(ルーテル学院大学名誉教授、日本ルーテル教団引退牧師)9月18日発行に 掲載・・・文語体聖書、口語体聖書、新共同訳聖書という歴史の節目での、これまで の訳業の成果の総合としての標準訳を期待したい。文語訳聖書の朗読したくなるよ うな誌的な格調性、戦後社会の日本語の変動変化に対応した口語体聖書の持つ分 かり易さ、そしてプロテスタントとカトリック両教会での共同使用を可能にした新共同 訳聖書、それぞれの成果を継承しつつ、なおかつ特色あるものを期待する。・・・。
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»»柴崎聡(青山学院大学、恵泉女学園大学非常勤講師、日本聖書神学校講師)9月18 日発行に掲載・・・私は、この20年、なるべく毎日、『新共同訳』で旧約聖書 2章と新約聖書1章を読んできました。すると、旧約聖書と新約聖書の翻訳の文学性に 微妙な濃淡の差があることに気づきました。私は、聖書は偉大なる文学作品である、 という立場に立っていますので、常々聖書の文学性に注目してきました。・・・ 原文に寄り添って翻訳することは基本ですが、だからと言って、起伏のない平板な 翻訳にはしてほしくないのです。読む者の生き方を揺さぶる翻訳にしてほしいの です。・・・・。
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»»寺園喜基(西南学院理事長・院長)9月18日発行に掲載・・・①原典を正しく押 さえつつ、礼拝の使用に耐える格式ある日本語と若い学生、生徒にも理解しやす いもの。②翻訳方式としてのスコポス理論の徹底。③カトリックとプロテスタント の共同で行ったことは評価。動的等価理論と逐訳との方法論的不統一は問題点。
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»»徳善義和(ルーテル学院大学・神学校名誉教授)9月25日発行に掲載・・・①聖 書翻訳は25年に1度を目安に行われるべき(大嶋:このような考えがあること事体が 誤りであると思う。)、長期を要する大企画である。今回の計画は10年遅すぎた感あり、 かつ2016年までの完成は短過ぎて不可能であろう。一つの訳が完成したらすぐ後か ら次の新訳を始める心構えが必要と思う。・・・・・・。②ギリシャ語本文に拠った 正確な訳であって、他の諸訳を参考にしながらもそれに左右されず、また訳者の恣意 に拠らないものであるように期待する。・・・・・。
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»»仲田達男(聖書研究会ミルトス会主宰)10月2日発行に掲載。①新しい翻訳事業を 始める動機が“見直し要請があったから”のようだが、それは具体的にどのような 要請があったのか。聖職者・学者・一般信徒からなのか、その内容はなど。翻訳方針 それらの要請に応えているものなのか。・ ・・「礼拝で用いることを主な目的とする」聖書があるのを寡聞にして知らないが、 伝道を目的とするのが本筋ではないのか。このような性格付けはおのずから用途を 限ることにならないのか。・・・・②今まで30年おきに改訂・新訳がされて きたので、ちょうど時期だと、もしもそのような発想があるとすれば、いかがなものか。 小生傘寿を迎え、文語訳・口語訳・新共同訳と振り回された感じを持っている。次のを 拝見できないかも知れないが、万一標準訳とやらにお目に書かれたとなるならば、 4つの聖句にうなされることになる。しかも、度のは「標準訳」との打ち出し。 今までのはなんだったのか。こんどこそ官製聖書を作りたいということなのか。 それも30年後に更に改訂されるものなのか。全部を書き換えなければならないような 聖書学・翻訳学などの成果があったのか。③・・・一般の信徒は、新しい聖書を次々 と買えるものではない。礼拝用の部分は、聖書としてではなく別途考えてはどうか。
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»»並木浩一(国際基督教大学名誉教授)10月2日発行に掲載。・・・。②聖書の原文は一つ ではありません。ことに旧約聖書本文は子音字本文と読みとの二重構造をしばしば示し、 どちらを採用するかが問われます。またヨブ記もような文学書は語を敢えて多義的に 使用している場合もありますので、訳者が特定の語義を選択した場合、必ず別訳の可能性 を注記して下さい。
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»»濱野道雄(日本バプテスト連盟宣教研究所所長、共同訳事業推進計画諮問会会議議員) 10月9日発行に掲載①教会及びキリスト教学校等で読むことを想定した翻訳。また読者とし て義務教育日本でも複数見られるし、それ以外を目差すべきであろう。・・・但し「礼拝 式にあった格調高い日本語を求められる」と言われるが、神のことばが礼拝と教会を形 成し問うのであって、逆ではないので、既存の礼拝方式や教会のあり方を前提に発想す るのは望ましくない。・・・読者対象については、宣教論をまず議論すべき。・・・ それは一方で、平易にして暖かい日本語必要とする。②翻訳作業前・後に神学的、 宣教論的議論の場を望みたい。
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»»福井達雨(止揚学園職員)10月9日発行に掲載。私は知能に重い障害を持った仲間 たちと58年間を共に歩み、聖書を新しくなる度に心を痛めてきました。この 仲間たちは変化の早い合理社会への対応がしにくい人たちです。そして、 ものの捉え方が一元的なことが多く、一度身に付けたことがなかなか変えられず、 多元的な思考や行動をする私たちに心を不安定にさせられることがよくあります。 その中で、私たちが自分たちの考え方で聖書を何度も変えていくことは、私たち は理解し、納得できても、この仲間たちはそれについていけず切り捨てられる現実が あります。イエス様は私たちが弱者側、少数側に追いやった人たちに深い愛を持っ て歩んでくださったことを思います。(そのイエス様の御言を伝える聖書が、 知能に重い障害を持った仲間たちを切り捨てる改訳を何度もしてよいのであろうか) と聖書が変わる度に、この仲間たちに謝ってきた私でした。少数側に追われた人た ちを無視して変えられていく聖書、そこには聖書が説く愛が欠けていることを思いま す。愛の欠けた聖書、と寂しい聖書でしょうか。(十字架につけられたキリストを 宣べ伝える書から、人間の知恵や知識の書に変えられるのでは)とフト思ってしま います。日本語や日本社会の変化、学問の進歩に対応するために、合わせながら 変わっていくものが聖書なのでしょうか。御言は、真理は永遠に変わらないもの だと思います。(聖書は時代の変化に動かされて、人間の心を心を動かすのではなく、 静かに留まっていて人間の心を動かしていくものだ)と思えてなりません。 知能に重い障害を持った仲間たちを切り捨て、孤独に追いやらない聖書への捉え方を 私たちが謙虚になって、考える時の必要性をシミジミと感じる今です。神の愚かさ は人よりも賢い」と言う御言が心に響きます。
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»»本田哲郎(フランシスコ会カトリック司祭)10月16日発行に掲載。①期待することは山ほどあるが、 翻訳事業の実情を押し測れば、何も期待できない。キリスト論、教会論をはじめ、神学傾向のちがう翻訳者一人ひとり の訳文を寄せ集め、表記形体だけを統一編集するので、矛盾を再生産することになりそう。 ②聖書は隠れたベストセラーでありつづけてきたこと、したがって、よきにつけあしきにつけ、その影響力は大きい ことをしっかり自覚して、翻訳に当たってほしい。貧しく弱い立場に立つ人たちの側から見て、 イエスキリストの福音が真に福音としてひびく翻訳をこころがけてほしい。社会的弱者をキリスト教的善徳の対象としか 見ないかのような、イエスを誤解させる訳文は十分に議論・検討してほしい。 ギリシア語アガペー・アガパオ(ヘブライ語アハバー・アハブ)の訳語は「愛」「愛する」でいいのか? 「心の貧しい人々は幸いである」はそのままでいいのか?  ③諸教派のかなりの教会がそれぞれの礼拝で共通の聖書を用いるようになったこと、聖書翻訳はかならずしも不変 なものではないと一般に認識する契機となったことなどは、評価すべき。 しかし、「定着度の高い表現は変えない」というような暗黙の規定にわざわいされて、用語の不統一と、それに ともなう文脈による理解を困難にしたことは、大きな欠点というべきである。以上。
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»»三好明(日本キリスト教会志木北伝道所牧師)10月16日発行に掲載。②「翻訳方針」 の前文に「固有名詞や重要な神学用語については『新共同訳』のみならず、過去の諸翻訳 も参考にして、最も適切な訳語を得るようにつとめる」とあるように、重要な神学用語 について、十分な検討がなされることを願っています。・・・・。③「教会の外にい る人々にも読まれるようにと動的等価の翻訳理論を用いて訳された」『新約聖書 共同訳』が、途中で翻訳方針を改められて、「原文のニュアンスを大事にした、 礼拝に使用する聖書として朗読に適したもの」である『聖書新共同訳』となりまし た(日本聖書協会『SOWER』27号参照)。このような途中変更のため、『聖書新 共同訳』は、分りやすい翻訳であっても、礼拝に使用するという性格が十分に徹底 されていない翻訳となっているのではないでしょうか。
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»»八木谷涼子(フリーライター)10月23日発行に掲載。①今度の翻訳は「全教会での 使用を目指す」と聞き、これは壮大な計画だと感じました。訳文の解釈にしても、 訳語の選択にしても、新共同訳の圏外にあった教派からの声をとり入れることなくし は成り立ちません。・・・。
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»»山本富二(日本バプテスト同盟磯子の丘教会牧師)11月6日発行に掲載。①30年 毎の新しい訳が必要との要請に従い、新しい訳がなされることは感謝です。・・ ・今回の訳は、礼拝で用いることを主な目的にする訳ですが、今日救いを渇望して いる多くの人々に届く翻訳であって欲しい世願っています。(・・・現実に多く のキリスト教学校生が、毎年聖書を購入し、聖書に接しています)。②聖書は神様 の命のみ言葉であると信仰のうちに読めるになって欲しいと思います。 ③新共同訳は、歴史の上で初めてカトリックとプロテスタントとの共同作業でした。 多くの違いの中で、共に譲り合い、共同作業したことは大きな働きでした。 底本を口語訳と変えたことは、信者たちに多くの戸惑いを与えました。
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